世界中で猛威をふるうコロナウィルス。
その影響はマスクやトイレットペーパー、ティッシュやオムツ、食料品にいたるまで多くの日用品が買い占められるといった影響が出ています。
その一方で3月2日から急きょ、感染拡大予防の観点から小中学校、高校が一斉休校となり、卒業式も卒業生とその保護者のみ、卒業証書の授与や来賓のあいさつなどを短縮し、各地で卒業式が行われました。
実は我が家もば9年前に他界した息子の卒業式がこの春に行われる予定でした。
こちらは小学校卒業の時、その当時のブログに思いを綴った記事です。
次男が亡くなって6年が過ぎました。
東日本大震災のおきる二月半前のことでした。
卒園を控え、制服も注文して、就学前の健康診断なんかも済ませ、ランドセルも「そろそろ準備しないとね~」って行ってた矢先のこと。
悲しみにくれた春の訪れの中おきた大震災。
我が子の遺体も見つからず、住む家も流された人は大勢いました。
自分より辛い思いをしている人はもっといるはず。と自分に言い聞かせました。
あれから6年。
あの時1年生になるはずだった息子は小学校卒業の歳。
きっと大きくなってたことだろう・・・と思うとやっぱり寂しい。
それよりも、あの時一緒に卒園していった子供たちの中にうちの子のことを覚えてる子供が何人いるだろうか?
あの時一緒に涙を流してくれた園児や保護者の方。
押し付けるわけじゃないけど、忘れ去られてしまうのは寂しい以上に悲しい・・・・。
今の家族の状態としては、妻も私も精神的には落ち着き、息子のいない生活に慣れたような気がします。
もちろんいなくなった事実を忘れたことは一日たりともありませんし、仏壇の前に納骨できないまま置かれた骨壺などを見ると、やっぱり寂しいです。
でも現世で生活するものすべてにとっては、今ある家族との温和な生活というものがやはり重要でもありますし、家の中が暗く沈んだ毎日を過ごすより健全な生活を送っていると思います。

どんな中学生だったかな?
きっと、背も妻より大きくなっただろうし、声変わりして当時のかわいらしい姿からはかけ離れたような姿を想像はしますが、一番きかん坊で手を煩わされたので、ひょっとしたらやんちゃ坊主になってるかもしれません。

多分サッカー部に入ってて、女の子にモテモテだったと思う。

え?俺の中学時代と一緒やんww

またまた~ww
確かに昔から几帳面で運動神経も3兄弟の中で一番良かったし、女の子への配慮が出来ていたのは事実ですが、保育園児ですからね。当時は。一番かわいい時期の思い出補正が入っているのは間違いないと思います。
私が当時モテたかどうかは別として、実は妻に冗談が通じるようになってきたのはここ1年~2年ほどのことです。
それまでは精神的にも不安定になることも多く、夫婦間でもギスギスするようなこともあり、やっとこんな冗談が言い合えるようになったんだと思いました。
それだけに妻も長年苦しんできたんだと思うんです。
私自身、当時のブログ記事を読み返してみても、3年前とは明らかに気持ちが上向いているのは間違いなさそうです。
これから高校の卒業式、成人式といった節目節目ではこんな気持ちになるのだろうと思いながら、卒業式の日には仏壇に向かってお祝いを言ってやろうと思います。
中学校、卒業おめでとう。
