最近小さな子供が川に流されたり、行方が分からなくなったというニュースを見る機会が増えると同時に、ツイッターなんかでも小さなお子さんをお持ちの方と接点を持たせていただく事が増えて、この記事を書こうと思いました。
特に年長さん、中1のお子さんをお持ちの親、そしてそれより小さなお子さんをお持ちの人に読んでいただきたいと思いますが、街が賑わうこの時期にはふさわしくないちょっと悲しいお話です。
次男が生まれたのは上の子が2歳になった頃。
上の子はケガをしてはいけないからと過保護気味に育ててしまった反省から、次男は少し活発に育ててみようと、少し手出しを控え見守る形で育てていました。
1歳半くらいから保育園に預ける事になったことも手伝って、とても活発な子に育ってくれました。
親に似ず女の子にも気配りができて、それでいて正義感も強くケンカの仲裁をしたりする子でしたから、保育園の同じクラスの子からも結構好かれてたみたいですね。
次男が2歳になる前にはお兄ちゃんになり、下の子の面倒もみれるいいお兄ちゃんでした。
以前私は、子供が学校から帰ったときに「おかえり」と言ってやれるような働き方をして欲しかったと書いています。
夕食を6時から7時だとすると、夕食を食べてからでもゆっくりお風呂に入って就寝ということが可能ですが、帰ってくるのが6時過ぎると、食べてお風呂に入って寝るとなるとどうしても10時が近くなってしまいます。
なので日々の夕食の時間帯を決めるという事は、子供の生活のリズムを整えるという思いもあります。
当時私は自宅から車で1時間半ほど離れた場所で公共の工事をしており、1期工事が終わり次の2期工事に向けての準備で大忙しの頃でしたので、朝は6時過ぎには出て帰るのは早くて9時過ぎ大抵は23時前という生活でした。
子供の顔を見る事はまずない生活でしたから、妻は3人の子守で大変だったと思います。
何度もパートを辞めろという話もしましたが、知り合いのツテで働いてる関係でなかなか自由にもならなかったみたいです。
とうとう心配していた事が起きました。
妻が子供たちを迎えに行ってお風呂に入れ、一番下の子と先に上がって夕食の準備をする。
いつもの光景だったはずです。
長男が先にあがって、次男はまだお風呂の中。
いつまでもあがってこない次男の様子を見にお風呂場へ。
そこでは思いもかけない事態が起きていたのです。
妻は救急車を呼び、私に泣きながら電話をかけてきました。
事情を把握して私も2時間掛けて緊急搬送された病院まで駆けつけました。
外の待合では妻が大泣きし、私に言いました。
「もうダメかもしれん・・・ダメかもしれん・・・」
と。
私が処置室に呼ばれて入った時には裸の状態で懸命に蘇生を受ける治療を受けている息子がいました。
「もうどれくらいこの状態ですか?」
と聞く私に、
「ご自宅からです」
という医師。
医療の知識がない私でもそれがどういうことかは理解できました。
「どんな強い薬を使っても帰って来ません。もう楽にさせてあげてください」
そう告げられました。
私が駆けつけるまでの2時間近く、病院の先生達は懸命に心臓マッサージを続けてくださいました。
そして最後の選択は私に託されたのです。
私は冷たくなった息子の体を確認したあと
「ありがとうございました」
そう頭を下げました。
私の中で、救急車で病院に着いたらなんとかなる、親の声が届けばきっと目を覚ますなんてドラマのような妄想を抱いていました。
でもこの世には決して変わることのないことというものがあります。
それが死ということ。
完全に失われた命はどんな最先端の医療を持ってしても取り返すことができないのです。
そこから息子を連れて帰ることが出来るのかと思ったら、息子を合法的に連れて帰るためのいろんな手続きがあり、その間に警察が来て自宅の実況見分等々があり、改めて息子と対面したのは病院の霊安室でした。
後部座席で妻と二人息子を抱え、義父の運転で息子を連れて帰ったのは夜中の2時頃でした。
命の炎が消えた息子の体は氷のように冷たく、硬直した息子の体はとても重たかったです。
そのときの警察の方もうちの子と同じくらいの子供がいるということで大変心を痛めていたようです。
他の子達は近所に住む祖父母の家で寝てました。
大抵上の子がいましたから、この夜初めて3人で並んで寝ました。
翌朝私はリセットボタンを押す夢で目が覚めました。
でも、目が覚めても息子が帰ってくる事はありませんでした。
辛かったです。
なんとかこのままの姿で保存する事ができないか本気で考えました。
ただ、こうしている間にも体の腐敗は進むから、なるべく早く愛した子供の形で送った方がいいとお寺や葬儀屋さんからも言われ、淡々と葬儀が進みました。
葬式なんか葬儀屋が儲けるだけと言われたりしますけど、イベントとして進めてくれないと、とてもじゃないけど心の整理ができません。
葬儀には保育園関係や仕事関係の人をはじめとしとても多くの人が駆けつけてくれました。
そしてクリスマスイブの24日、私達夫婦はサンタの元へと息子を送りました。
程なく新しい年を迎えた早々、思いがけない事がおきました。
それが妻の妊娠です。
息子の生まれ変わりとしか思えないタイミングでした。
それが長女です。
妹が欲しかったという息子が授けたものかどうかは分かりませんが、本当に不思議なタイミングでした。
そうする一方、私達に泣かない日はなかったです。
悲しいとか、さびしいというような言葉では語りつくせないほどの思いです。
向こうで一人寂しく泣いてはいないだろうかと、毎朝毎晩仏壇に向って般若心経を唱え、息子の写真を見ては泣いて暮らしました。
その間子供たちにとても助けられましたが、子供たちもそんな親を見るのは辛かったんじゃないかと思います。
私の中でこれではいけないと奮い立たせたのは3月11日の大震災。
あの時、多くの人が家族を津波にさらわれてしまいました。
その中でも子供をさらわれ安否不明の親だっているはずです。
わが子を自分たちの手で送ってやれた事はせめて幸せだったと思うことにしました。
とは言いながら春、息子なしで進められる卒園式、そして案内すら届かなかった小学校の入学式はやはり辛かった。
そんな心境の中無事長女を産んでくれた妻にはとても感謝しています。
私は今でも息子の夢を見ます。
すっかり背も伸びた息子の姿が出てきたのはもう半年くらい前になるでしょうか。
今でも自慢の息子です。
でもね、こうして書いていてもやっぱり辛いんです。
だから自分たちのことを書くことで、一人でもこういう思いをしたくない、気をつけようって思う人がいてくれればいいなって思うんです。
もちろんそんなことを望む親はいないんでしょうけど、それでも病気や事故などで不幸にして子供に先立たれる親のニュースや虐待によって子供が犠牲になるというニュースが聞かない年はありません。
こんな私達の経験談を読むことで一人で多くのひとが、より一層家内安全に務めてくだされば幸いです。
目を離した5分の間に・・・
子供の足でも5分歩けば、いくら大人でも行き先を掴む事はとても困難です。
まして暗くなるのが早くなるこの時期、探す事は困難です。
大人の5分はあっという間でも子供の5分というのは長いものです。
溺死
ネットでこの夏流れた画像をご存知でしょうか?
おそらくこういう状態だったのだろうととても辛かったです。
夏になるとお兄ちゃん達と池に遊びに行って下の子が池に落ちるなんてニュースも聞きます。
万一の時には子供同士では溺れかけた人間を救出するのは無理です。
誤飲
子供にとってはすべてが好奇心の対象です。
私がタバコを止めてからというもの、自宅にはタバコがありませんでした。
なので私達にはタバコというものの存在が頭から抜けているのですが、義父のところへ行くと普通にタバコが置いてあって、子供が口に入れかけたということがありました。
害のあるものが自宅になくても、よそへ行くと普通に子供の手の届くところにある事はよくあることです。
神経をとがらし続ける事はとても疲れます。
周りの大人たちがみんなで気にしてやる必要があるのです。
冒頭に、年長さんや中1の子供を持つ人に読んで欲しいと書きました。
彼が生きていれば今中学1年。
そして産まれてきた娘は今6歳。
あの子がサンタの元にいったときの歳になりました。
1年で一番楽しいはずの時期、そしてあの楽しくも辛いクリスマスがやってくるのです。
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