本日無事に息子の13回忌をすませることができました。
今でこそ妻と冗談を言い合えるようになりましたけど、息子を見送ってから長くはとてもそんな状態ではありませんでした。
このブログには以前にもサンタになった息子の話というタイトルで当時のことを紹介してますけど、noindexタグを入れて検索では出てこないようにしているにも関わらず不思議と読まれています。
そこでこの13回忌という日を機に、もう少し当時のことを踏まえたうえで育児とかのことを書いてみたいと思います。
母親が最期を決めればいいとおもう
「どんな強い薬を使っても帰って来ません。もう楽にさせてあげてください」
そう告げられました。
私が駆けつけるまでの2時間近く、病院の先生達は懸命に心臓マッサージを続けてくださいました。
そして最後の選択は私に託されたのです。
私は冷たくなった息子の体を確認したあと
「ありがとうございました」
そう頭を下げました。
私が医師に頭を下げる前、私は一度処置室を後にして、外で待つ妻のもとへ行きました。
それは一緒に息子を看取ること。
心臓マッサージを止めるということはどういうことかわかっていただけに、一人でその決断をすることはできなかったのかもしれない。
でも妻はその場にはとても立ち会うことができず、自分だけで終わらせてしまった。
その後妻は何度も謝りながら泣いてました。
妻が子供たちを迎えに行ってお風呂に入れ、一番下の子と先に上がって夕食の準備をする。
いつもの光景だったはずです。
長男が先にあがって、次男はまだお風呂の中。
いつまでもあがってこない次男の様子を見にお風呂場へ。
そこでは思いもかけない事態が起きていたのです。
常々風呂場での危険性は指摘していただけに思わず妻を責めかけ、そして辞めました。
妻の泣く姿を見て、きっと自分よりも生んだ妻のほうが辛い思いをしているに違いない、と思いどとまることができました。
でも「これが逆にだったらどうだっただろうか」と言うのはたまに考えます。
きっと妻は私を許さなかったのではないかと。
よく子供が病気になって迎えに行くのは妻の役目とグチるツイートなども見かけますけど、私としては症状が重ければ重いほど母親が判断をすればいいのではないかと思うんですよ。
きっと父親がどんなに最善の判断をしたとしても、母親としてはきっと悔いが残ると思うから。
心の底からの絶望の中での生活
そうする一方、私達に泣かない日はなかったです。
悲しいとか、さびしいというような言葉では語りつくせないほどの思いです。
向こうで一人寂しく泣いてはいないだろうかと、毎朝毎晩仏壇に向って般若心経を唱え、息子の写真を見ては泣いて暮らしました。
息子が亡くなってからの生活は、絶望・悲劇というチープな言葉ではとても表現できない、心の底はこんなに深いのかという感情のなかでの生活でした。
家族崩壊への足音が聞こえてきた
息子の姿がなくなってからというもの、息をするのも辛い日々をお互い過ごしましたけど、年が明けて復帰。
でも毎日仕事から帰ったとき、もしも妻が後追いをしていたらどうしようかと思うととても怖かった。
そのために何週間か実家に帰らせたりもしたけど、きっとお腹の娘の存在が妻の中でもなにかを思いとどまらせたのではないかと。
私の心残りになっているのは、妻が心療内科に行きたいと言ったのを反対したこと。
それは心療内科というものを調べたときに、人に合うとか合わないという医師もいるということを知り、ただでさえ妻はメンタルが強くない上に、弱っている傷口に塩を塗り込まれるのではないかと心配したのでした。
でもそれが、つわりで吐く、長く眠れない日が続く、といった生活の妻を苦しめたのかもしれない。
結果論としてはその2つの時間軸がどういう結末を迎えていったかはわかりませんけど、せめて本人の思うようにさせてやったほうがよかったかなぁと今でも思ってます。
恨む相手がいなくてよかった
最近自分の中で心を痛めているのが旭川の女子中学生のイジメの問題。
女子中学生のメガネを掛けた顔が公開されてますけど、あの顔が自分の娘にかぶるところがあって、お母さんの気持ちを思うと他人事のようにが感じません。
そのときふと思い出したのが、息子が亡くなってからしばらく「誰かに殺されたのであれば、この悲しみを憎しみという感情でかき消せるのではないか」と考えたことがありました。
でもやっぱりそれは間違いだった。
もしも誰かに我が子を殺されていれば、今もなお悲しみと憎しみで苦しんでいたはず。
次は17回忌
あの子も生きていれば18歳。
車の免許を取れる年になりました。
一緒にバイクで走りに行くというのは昔から頭の片隅にはありましたので、生きていたらどんな父親と息子だっただろうなとは思います。
この3月には東北の大震災で亡くなった方たちも13回忌となりますが、家族との突然の別れっていうのは、本当に他人が思いやれるほど簡単ではない、割り切れない深い悲しみが襲ってきます。
とてもこの悲しみを振り切ることなんかできないと思っていたけど、妻もそれなりに元気になってくれて過ごしてます。
自分たちも決して普段から息子の存在を忘れることなく過ごしてきたし、そしてこれからも過ごしていくと思います。
いつまで法要という形でやってやれるかはわからないけど、忙しい日々の中で、あえてみんなが共通認識として思い出してやれる日というためにも、これからも法要というものは大事にしていきたいと思います。
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